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古文書からわかった村の芝居興行




・「西塩子の回り舞台」にかかる経費

 「西塩子の回り舞台」には、関係文書が四○点ほど残っています。文政六年(一八二三)から昭和八年(一九三三)の、約一世紀におよぶこれらの史料は、おもに西塩子の鎮守、羽黒鹿島神社の遷宮の余興として行った芝居に関するものです。これを丹念に読んでゆくと、芝居にはどれくらいの費用がかかり、どのような方法でその資金を調達したか、を知ることができます。


 神社の改修などに伴って不定期に行われる遷宮は村で最も大きな祭礼で、そのとき行われる芝居は「オオシバヤ」とよばれ必ず二晩芝居をしました。青年たちが主体となって行う嵐除けなどの祭礼には、近隣の飯野(栃木県芳賀郡茂木町)の役者などを頼んで一晩きりの芝居をしたそうでが、オオシバヤのときは値段の高い役者を買ったといいます。遷宮芝居としては最後となった昭和八年には、松葉座という東京の歌舞伎一座を買って興行したそうです。


 最も文書が残っている明治三四年の遷宮芝居を見てみると、かかった費用の合計は当時の金額で六百円余り。今のお金に換算すれば八百万円ほどでしょうか。現金収入の少なかった時代に、これだけの経費をかけた祭礼を、世帯数七○戸ほどの集落が行っていたことは驚きです。








・「西塩子の回り舞台」による収入

 収入の内訳を見てみましょう。注目されるものとして、舞台解体後に舞台に使った材木や竹、照明のランプや紙くずに至るまで競り払いした代金である「諸品払物代」や、舞台の貸出しによって得た損金を貯えた「若衆金」(これを原資として村内金融をしていました)があります。そして特筆すべきは、約四割を占める「樽代(たるだい)」と「一騎樽代」です。これは、見物人がもたらす御祝儀金、いわゆる&「ハナ」で、いかに大勢の見物人を集めるか、が芝居興行を成功させる鍵となっていました。


 「樽代」が西塩子地区に入る祝い金だったのに対し、「一騎樽代」は西塩子に住む個人へのものです。おもしろいことに、祭礼に掛かった費用を精算した後、不足分を「一騎樽代」から充当して、不足分を同割で差引いてから個人に渡していたようです。また、樽代の受納帳には樽代をもたらした人々の住所も記されおり、見物人がどこから来たかも知ることができます。








・回り舞台開催による地域経済の活性化

 こうした大掛かりな村の祭りには、地域住民の出費もかさみますが、舞台の材料や燃料など村内で賄えるものは住民から買い上げ、役者を泊めた家には宿賃を支払う、といった具合にご祝儀以外の収入もあり、短期間に幾度も支出と収入を繰り返して、普段とは違う目まぐるしさで地域内を現金が循環しました。地域で手に入らないものは町場の商店で購入し、その額は一七七円にも達しています。近在の複数の酒蔵からも大量に酒を購入しており、村の祭りは町場も含む地域の経済を活性化させる働きもあったことがわかります。









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