・密集する組立式舞台
「西塩子の回り舞台」のような組立式舞台は、当地方では珍しいものではなく、すでに消滅した舞台(長田(おさだ)、小舟(こぶね))を含め、現在までに市内で七つ確認されています。また、人形浄瑠璃の一座が二ヶ所にあり、幕やフスマを持っていました。
七つの舞台は、長田(旧山方町(やまがたまち))、下檜沢(しもひざわ)(旧美和村(みわむら))、下(しも)小瀬(おせ)・国(くに)長(おさ)・小舟(旧緒川村(おがわむら))、門井(かどい)(旧御前山村(ごぜんやまむら))、西塩子(旧大宮町)と旧町村すべてに存在します。しかし、よく見ると片寄りがあり、江戸時代の道具が確認されている舞台は、西塩子と隣接する下小瀬・門井の三ヶ所で、それより時代が下がると思われる舞台がその周囲に分布しています。あくまで推定ですが、この隣り合う三ヶ所で競うように舞台が作られた影響を受けて、徐々に周囲の村々に波及したように思われます。
・舞台の発生に深い関わりをもつ下小瀬の紺屋の存在
小舟では二枚あった大きな引き幕が戦後紛失し、「幕がなくては芝居にならぬ」と希望者に舞台道具を分けて四散してしまったといいます。舞台の大幕は、私たちの想像以上に、欠くことのできない大事な道具だったようです。そのようなことからも、奥州仙台で修行してきたと伝える、舞台の大幕を染めるほどの力量を持った下小瀬の紺屋の存在が、当地の舞台の発生に深く関わったのでは、と考えられます。
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